「第六潜水艇殉難之慰霊碑」 昨日の続き   

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昨日の続きです。ドウクラフト土肥家具から歩いて4,5分の近さにある鯛乃宮(たいのみや)神社に
建っている「第六潜水艇殉難之慰霊碑」のご案内です。

下の鳥居をくぐり階段を上がると、その慰霊碑はあります。



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大正元年に建立された碑は敗戦とともに荒廃し、今の高さ19メートルの塔は
昭和34年に殉難50周年を記念して再建されたそうです。
正面に佐久間艇長ならびに全乗組員14名の名前・階級・出身などが書かれた
レリーフがはめ込まれています。こうしてみると皆、若い・・・



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33歳が最年長でほとんどは20代の青年です。
これは平時の事故で戦死ではないですが、国が近代化を遂げるにあたっての
犠牲的な死でしょうか。
側面には佐久間艇長の遺書もレリーフにはめ込まれています。


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実際の遺書は小さな手帳に39ページに及ぶもので 死期の迫る中、事故を
起こしたことに対する謝罪、事故の原因の分析、
潜水艦発展への願い、乗組員の遺族に対して配慮してほしいと
書き留めてありました。
佐久間艇長ならびに乗組員の立派な最期は世界に大きな感銘を与え、
英国の海軍学校の教訓になったり アメリカでは、カリフォルニアの高校の
教科書「リーダーシップ」の項で紹介され、
ワシントンの国会議事堂の大広間に遺書の原文をコピーして、英訳を添えたものが丁重に陳列され、日本では長く修身の教科書に「沈勇」と題して掲載されてたそうです。
なのにいまではすっかり忘れ去られている気がします。
戦後、悪しき軍国主義を連想させる事や軍人というだけで優れた人でも
忘却のかなたに追いやられてしまった感もあります。

その後、引き上げられた潜水艇は1920年(大正9年)まで使われ、
そのあとは呉市の潜水学校で「六号艇神社」として保存されていましたが、1945年に進駐軍の命によって解体、船体は桟橋になり 
関係者がこっそり取り外したスクリューなどが碑には
納められています。


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毎年4月15日にはここ鯛乃宮神社と山口県岩国、福井県佐久間記念館で追悼式が行われているそうです。私も今年はお邪魔してみようと思います。
鯛乃宮神社は丘の上にあり、遠くにはかつての海軍工廠あたりも望むことが
出来ます。境内は桜の木がたくさん植えてあり、春は美しく彩られることでしょう。


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事故をいつまでも記憶にとどめておくことが、何よりの供養になるでしょうか。

今日もよい1日になりますように!


堀田 あゆみ072.gif
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by docraftmakes | 2015-02-02 07:00 | スタッフ日記

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