「第六潜水艇殉難之慰霊碑」   

おはようございます001.gif


みなさまは呉市にある「第六潜水艇殉難之慰霊碑」についてご存知でしょうか?

日露戦争が終わって5年ほど後の明治43年4月15日、日本最初の国産潜水艇
、第六潜水艇が山口県新湊沖で訓練中に沈没して、佐久間艦長以下14名の乗務員全員が
殉死した事を偲んで、鯛乃宮(たいのみや)神社に建っている慰霊碑です。


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ドゥクラフト土肥家具の前の三条銀座を呉三津田高校へ向かって、
トコトコ150mほど歩くと左手に案内灯があります。
なにか楽しい物があるような朗らかな案内灯ですね。

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ここを左折するとほどなく右手に鯛乃宮神社の鳥居と案内板があります。


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鳥居をくぐり階段を登ると高さ19mの「第六潜水艇殉難之慰霊碑」があります。



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どうしてこのような記念碑が建てられたのかといいますと・・・
遭難沈没した午前10時から絶命するまでの12時45分ごろまでの間、佐久間艦長はもちろんのこと乗組員全員が最後まで持ち場を離れず(持ち場を離れていた乗組員2名はガソリンパイプの修理をしていた)
冷静沈着にそれぞれの任務を粛々とこなしていたことが、後に判ったからです。何故わかったか?
それは佐久間艦長が死の直前まで事故を起こしたことに対する謝罪、事故の原因、潜水艦発展の願い、乗組員の遺族に対して配慮してほしいと書き留めていた遺書を書いた手帳が発見されたから。
この時代、潜水艇は非常に事故が多く、この事故の前にもイタリア海軍で似たような事故がありましたが、こちらは乗組員が我先に脱出しようとして、殴りあった末にハッチ前に固まって絶命していたのが見つかったそうです。
それに比べて日本海軍の冷静沈着さ、使命感は日本国民はもとより全世界の人々に深い感銘を与えました。
ノブレス・オブリ―ジュという言葉があります。フランス語で「高貴なるものの義務」を意味します。高い身分の者は(その富を享受する代わりに)社会責任が生じるという考え方、行動の指針ですが艦長ならともかく、乗組員全員が最後まで持ち場を離れず職務を全うしたという事が、世界を驚かせたのでしょうね。


後半はまた明日、お楽しみに012.gif


今日もよい1日になりますように!




堀田 あゆみ072.gif
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by docraftmakes | 2015-02-01 08:04 | スタッフ日記

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